ゴシケヴィチの船 - Корабль Гошкевич -
当ページは、帝政ロシアの初代日本駐在領事であるヨシフ・ゴシケヴィチと妻エリザヴェタの足跡を辿り、夫婦の功績を後世に伝え、日本とベラルーシ、ロシアの友好に尽くすことを目的としております。
日本とベラルーシ、ロシアにおける活発な経済活動に努めて参ります。
ベラルーシについて
言語 | 主にロシア語、次いでベラルーシ語 |
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物価 | 非常に安い |
特産物 | イモ、ウォッカ、亜麻(リネン)、わら細工等 |
気候 | 比較的温暖(冬季-5℃~夏季15℃)。夏期は降雨量が多い。 |
スポーツ | バイアスロン、アイスホッケー、スキー |
観光 | ミール地方の城と関連建物群、シュトゥルーヴェの三角点アーチ観測地点群、ネースヴィジのラジヴィール家の建築、住居、文化的複合体、ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森 |
ゴシケヴィチについて
ヨシフ・ゴシケヴィチは現ベラルーシ共和国ゴメリ州ストレリチェヴォ村に生まれました。ミンスク神学校を卒業後、1839年にペテルブルク神学アカデミーを卒業。ロシア正教伝道団の一員として十年にわたり北京に滞在中、東洋研究に携わりました。
1852年から1855年にはプチャーチン提督の外交使節団に通訳として加わり、フリゲート艦パルラダ号で日本を訪れました。日露間最初の条約の準備に携わり、1855年の調印にも立ち会いました。
ゴシケヴィチは、初代駐日ロシア領事となることを提案されました。外国人としては初めて、日本の首都の外に出ることを許可されました。
日本滞在中(1858 ~ 1865年)、ゴシケヴィチは外交だけでなく、研究活動にも従事しました。日露条約準備作業中に得た豊富な語学経験を活かし、日本人の橘甲斎と共同で1857年に『和魯通言比考』(和露辞典)を完成させました。和露辞典は帝国科学アカデミーからの栄誉あるデミードフ賞受賞対象となり、金メダルも授与されました。
1867年に退官し、ヴィリノ県にあるマリの領地に移り住みました(現ベラルーシ共和国グロドノ州オストロヴェツ地区)。この地でゴシケヴィチは,研究書『日本語の起源について』を執筆しました。ゴシケヴィチの極東研究が当時として如何に多方面に及び、専門的であったかは、彼の蔵書目録に含まれる日本語・満州語・中国語の図書の数が420冊にも上ることが示しています。ゴシケヴィチが集めた資料には、東アジア諸国に関する地理学、民俗学、歴史、言語といった分野の内容が含まれています。
ヴィリノ(現リトアニア共和国の首都ヴィリニュス)において死去、埋葬されました。函館市とオストロヴェツ(ベラルーシ)には、記念碑が設置されております。
在ベラルーシ日本国大使館より
ゴシケヴィチの船
当ページは、帝政ロシアの初代日本駐在領事であるヨシフ・ゴシケヴィチと妻エリザヴェタの足跡を辿り、夫婦の功績を後世に伝え、日本とベラルーシ、ロシアの友好に尽くすことを目的としております。
日本とベラルーシ、ロシアにおける活発な経済活動に努めて参ります。
代表挨拶
私は2014年9月に函館市で行われたゴシケヴィチ生誕200年祭において、駐日ベラルーシ共和国大使館のお手伝いをしたことがきっかけとなり、大使館との交流、縁が徐々に深まってゆきました。
以来、ゴシケヴィチの足跡を辿ることだけではなく、様々な文化、芸術、スポーツ交流の橋渡しをすることになり、ベラルーシへは10回以上訪問するに至りました。
そして、2021年6月には在北海道ベラルーシ共和国名誉領事を拝命するに至りました。
名誉領事としての責務は、今までの個人と個人との関係から、組織との関係に広がってきた為、今後のベラルーシと日本との橋渡しをより円滑にするためにも、一般社団法人として組織化し、さらなる発展を目指してゆくことになりました。
皆様どうぞ、よろしくお願い致します。
一般社団法人ゴシケヴィチの船 代表理事
在北海道ベラルーシ共和国名誉領事館 名誉領事
松浦 勝人
団体名称 | 一般社団法人ゴシケヴィチの船 |
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所在地 | 北海道函館市千代台町12-25 |
電話番号 | 0138-83-1176(株式会社アンサー直通) |
代表理事 | 松浦 勝人 |
お問い合わせ
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